EXHIBITION 展覧会構成

第1章 初期浮世絵

初期浮世絵版画は、延宝期(1673~81)頃の墨一色の版による「墨摺絵」に始まります。その後、墨摺絵に丹で筆彩色を施した「丹絵たんえ」、丹にかわって紅を用い、黄、藍で彩色した「紅絵べにえ」、黒色部分に膠を混ぜて漆のような光沢を出した「漆絵うるしえ」などが作られます。

延享期(1744~48)頃になると、彩色は筆彩色ではなく、紅や緑の色版を重ねる版彩色が行われるようになって「紅摺絵べにずりえ」と称され、多色摺の錦絵が生まれる土台となりました。

初期の浮世絵師としては、菱川師宣、懐月堂派、奥村政信などが活躍したほか、歌舞伎の豪胆な荒事にふさわしい独自の力強い描写様式を生んだ鳥居清信・清倍らの活動が注目されます。鳥居派が清忠、清広、清経、清満など多くの後継絵師を輩出した一方、石川豊信は独自に繊細で柔らかな画風を展開しています。

鳥居清倍 「初代市川団十郎の暫」 重要文化財 大々判丹絵 宝永期(1704〜11)頃 平木浮世絵財団(7月23日(木・祝)〜8月10日(月・祝)展示)

石川豊信 「花下美人」 重要文化財 大々判漆絵 延享期(1744~48) 平木浮世絵財団(7月23日(木・祝)〜8月10日(月・祝)展示)

奥村政信 「足袋の紐」 大判紅摺絵 寛延~宝暦期(1748~64)頃 太田記念美術館(後期展示)

第2章 錦絵の誕生

明和2年(1765)頃、趣味人の間で絵暦を私的な摺物として制作し交換することが流行し、より美しい摺物を追求したことが契機となって、多色摺の版画が誕生し、錦のように美しい江戸の絵という意味で「東錦絵あずまにしきえ」と称されました。錦絵創生の時代に最も活躍したのが鈴木春信で、その夢幻的な美人画様式を多くの浮世絵師たちが追随しています。

明和7年(1770)の春信没後、礒田湖龍斎は次第に堂々とした体軀の現実的な美人画へと画風に変化を見せ、その代表作とされる「雛形若菜の初模様」シリーズは大判という判型を定着させる契機となりました。

役者絵においては、一筆斎文調、勝川春章らが、より写実的な役者の個性描写を追求しています。風景描写にも向上が見られ、歌川豊春は西洋画の透視図法を用いた自然な奥行きと空間を感じさせる浮絵を制作しており、以後の風俗画の背景描写にも影響を与えています。

勝川春章 「車引 二代目市川八百蔵の桜丸 二代目中島三甫右衛門の藤原時平 三代目市川海老蔵の松王丸 九代目市村羽左衛門の梅王丸」 細判錦絵三枚続 安永5年(1776) 日本浮世絵博物館(前期展示)

鈴木春信 「風流うたひ八景 紅葉狩夕照」 細判錦絵 明和4年(1767)頃 太田記念美術館(後期展示)

礒田湖龍斎 「雛形若菜の初模様 丁子屋内若鶴」 大判錦絵 安永8〜9年(1779〜80)頃 太田記念美術館(前期展示)

第3章 美人画・役者絵の展開

美人画は、天明期(1781~89)に入って、鳥居清長が伸びやかな長身の美人画様式を生み、群像図を多く制作しました。寛政期(1789~1801)に入ると、喜多川歌麿は、半身像を描く大首絵おおくびえの様式を用いて、さまざまな階層の女性やその表情を描出します。武家出身の鳥文斎栄之は清楚で上品な美人像を描き、栄里、栄昌、栄水などの門人たちも活躍しています。

細判の多かった役者絵も大判の作品が増え、迫力のある画面が描かれます。東洲斎写楽は、寛政6年(1794)5月から1年たらずのわずかな期間の作画活動が知られるのみで、その後、忽然と消えてしまった絵師ですが、黒雲母摺くろきらずりの背景に浮かぶ役者の半身像は印象的で、国際的にも高く評価されています。一方、歌川豊国も「役者舞台之姿絵」の連作で好評を博し、歌川派の役者絵の基礎を築きました。

歌川国政 「市川鰕蔵の暫」 重要美術品 大判錦絵 寛政8年(1796)頃 平木浮世絵財団(前期展示)

歌川豊国 「豊広豊国 両画十二候 正月 三枚続」 重要美術品 大判錦絵三枚続 享和元年(1801)頃 平木浮世絵財団(前期展示)

喜多川歌麿 「青楼仁和嘉女芸者部 たま村屋おひで 富本豊志名」大判錦絵 天明3年(1783) 日本浮世絵博物館(後期展示)

鳥居清長「六郷渡船」 重要美術品 大判錦絵二枚続 天明4年(1784)頃 平木浮世絵財団(後期展示)

勝川春好「江戸三幅対」 大判錦絵 天明後期(1785〜89)頃 太田記念美術館(前期展示)

喜多川歌麿 「冨本豊ひな」 大判錦絵 寛政5年(1793)頃 太田記念美術館(前期展示)

東洲斎写楽 「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」 大判錦絵 寛政6年(1794)5月 日本浮世絵博物館(後期展示)

第4章 多様化する表現

寛政期(1789~1801)を過ぎ、文化・文政期(1804~30)に入ると、錦絵は、それまでの大らかな雰囲気から、より細密な描写となり、画面に表される情報量も増えていきます。

題名を入れる枠にもさまざまな装飾性が見られ、画面も単に対象物と背景を描くだけではなく、構図の上でもデザイン的な工夫が凝らされています。

この時期には、洋風の風景描写への関心も高まりを見せ、遠近法ばかりではなく、水平線を低くとり、広い空と雲を描写するなど、大気を表現するような特徴が見られます。

美人画では、文化3年(1806)の喜多川歌麿の没後、菊川英山が人形顔とも称される美人像を生み出し、門人の渓斎英泉は妖艶な描写で人気を博します。

歌川豊国の門人、国貞は若い頃から才能を発揮して、美人画、役者絵に活躍し、師の没後は、浮世絵界の第一人者となり、弘化元年(1844)に「豊国」の名を襲名して元治元年(1864)に没するまで、長い間、精力的な作画活動を行います。

渓斎英泉 「江戸不忍弁天ヨリ東叡山ヲ見ル図」 
横大判錦絵 天保前期(1830~37)頃 太田記念美術館(後期展示)

歌川国貞 「今風化粧鏡 牡丹刷毛」 大判錦絵 文政6年(1823)頃 日本浮世絵博物館(後期展示)

菊川英山 「青楼美人春手枕 鶴屋内橘」 
大判錦絵三枚続 文化末~文政前期(1814~20)頃 太田記念美術館(前期展示)

第5章 自然描写と物語の世界

世界で最もよく知られている浮世絵版画、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を含む「冨嶽三十六景」シリーズは、天保初期(1830~33)頃に出版されました。また、歌川広重の代表作「東海道五拾三次之内」も天保4〜5年(1833~34)頃の作品です。それまでの説明的な名所絵とは異なる風景画のジャンルが浮世絵版画に大きな位置を占めるようになったのがこの時代です。北斎と広重の作品は、単なる風景ではなく、雨、風、雪、月といった気象が絵画の大きな要素となっており、日本独特の美的感覚が表わされています。

歌川国芳は同じ頃、武者絵のジャンルで活躍し、物語の世界を豊かなイマジネーションによって絵画化しています。国芳はまた、西洋の様式を取り入れた近代的な感覚の風景画、奇抜なアイデアとユーモアの精神に溢れた戯画を描いて、独自の画業を展開しました。

歌川国芳 「人をばかにした人だ」 
大判錦絵 弘化4年(1847)頃 日本浮世絵博物館(後期展示)

葛飾北斎 「詩哥写真鏡 少年行」 重要美術品 長大判錦絵 天保4〜5年(1833~34)頃 平木浮世絵財団(前期展示)

歌川広重 「江戸近郊八景之内 玉川秋月」 
横大判錦絵 天保6~8年(1835~37)頃 太田記念美術館(前期展示)

葛飾北斎 「冨嶽三十六景 凱風快晴」 横大判錦絵 天保元~4年(1830~33)頃 平木浮世絵財団(前期展示、後期にも他館所蔵の同作品が展示されます)

葛飾北斎 「冨嶽三十六景 山下白雨」 横大判錦絵 天保元~4年(1830~33)頃 日本浮世絵博物館(前期展示、後期にも他館所蔵の同作品が展示されます)

葛飾北斎 「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 横大判錦絵 天保元~4年(1830~33)頃 太田記念美術館(前期展示、後期にも他館所蔵の同作品が展示されます)

歌川広重 「木曽路之山川」 重要美術品 大判錦絵三枚続 安政4年(1857) 平木浮世絵財団(前期展示)

歌川国芳 「里すゞめねぐらの仮宿」 大判錦絵三枚続 弘化3年(1846) 太田記念美術館(後期展示)